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執筆者の写真文太郎 

感謝 ~母が、旅立ちました~

 母が、旅立ちました。

天に召されて、10日が過ぎました。

 2年4か月前、体調がおかしい、黄疸が出る、というので、あまり医者に行かない母が病院で見てもらった際に、既に胆管癌がかなり大きくなった状態だという事がわかり、その時点で早ければあと8~10か月かもしれないと言われていました。ですがその後治療で、時々しんどそうではありながらも、穏やかに普段通りの生活をごく最近まで続けてきました。少しずつ疲れやすくはなりながらも、私の仕事をファンクラブの皆さんと共に手伝ってくれていました。ですがいよいよ入退院も何度目かになり、お腹や体がむくみ始め、お医者さまから「医療で出来ることは全て終えた」と言われてからは、あっという間にその時がやってきました。亡くなる3日前には母から電話をもらって、か細いながらも和やかに会話ができ、何かと心配性な人だったので、「僕らは元気にやってるよ」と伝えると、とても安堵した様子で「なら安心した・・」と言って、それが最後の会話になりました。  

 とても勤勉で真面目な人で、亡き叔父がよく「お姉ちゃんは白新中学校始まって以来の才女だったんだ」と誇らしそうに教えてくれました。津田塾大学で学んだ後は高校の英語教師として人生を歩んだ母と、同じく学問好きで歴史の高校教師であった父と、日々忙しそうな両親でしたが、沢山の想い出深い旅行や、冬はスキーに毎年連れて行ってくれて、特に中学の頃に初めての海外旅行でスイスやフランスの景色を見せてくれたり、アダモやベコーのLPレコードを聴かせてくれたのが、思えば今の私の仕事に繋がっているようにも思います。一人っ子である私を、愛情深く、時に厳しく育ててくれました。 

 大学を卒業した後シャンソン歌手の道を歩み始めた私が、故郷の新潟でも少しずつお仕事が出来るようになった時期、それがちょうど両親が仕事を退職した時期と重なり、それから試行錯誤しながら私の後援会やファンクラブの方々と共に、私の仕事を支えてくれました。本来はとても控え目で、流行りの事などになかなか関心を持たず、派手な物事を好まない母が、お客様との関りのおかげでとても元気を貰って、張り合いを持たせてもらったことを、心から感謝しています。ですがそれに甘えて、時には母の負担になるほどに色々な事を頼り過ぎてしまったことは、母に心から詫びたいと思います。 

 とてもしっかり者の母でしたので、残された父を思うと少し心配なのですが、私達家族これまで以上に力を合わせて、支えあって生きていこうと思います。尚、先週6~7日に、両親の希望でもあり、義弟である京都八大神社の宮司に新潟まで来てもらって、神式にて通夜祭・葬場祭を営みました。親族、ご近所の方、母の幼き頃からの同級生方々、お客様方々、沢山の方と共に、無事に見送る事ができました。 ・・不慣れなSNS時代に、こうした私事を投稿する事が適切なのか、迷いましたが、お友達で母と関わって下さった方も多々おられるので、ご報告させていただきました。写真は、式場での思い出コーナーに飾った内のいくつかです。喪主を務めるなんてことは人生で初めてでしたが、親切に尽力下さった親戚をはじめ、本当に沢山の方々に支えられて人生は成り立っているんだなという事を再確認することもできました。また今後とも、変わらぬご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。



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